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聖ルイズ・ド・マリアック修道女  St. Ludovica de Marillac, Vidua      記念日 3月 15日



 カトリック教会はいつの時代にも、貧民病者その他救済を要する人々の間で、慈善のために働くことを人類の福利に資する己が事業中の珠玉と目して来た。かかる不幸な人たちに対するこの愛は、天主の浄配たる教会が、その聖なる創立者から、結納として贈られたものである。この博愛の活動は始め幾世紀の長い間、どちらかと言えば個人の手で多く行われたのであったが、後次第にこの方面の活動を旗印とするいろいろな信心会が出来、ついにはそういう修道会まで起こるに至ったのであった。
 17世紀には聖ヴィンセンシオ・ア・パウロが博愛の姉妹会と称する、病者看護の大規模な一つの会を創設した。その協力者として大なる功労のあったのが、1934年3月11日ピオ11世教皇に列聖された、ルイズ・ド・マリアックである。

 ルイズ・ド・マリアックは1591年、フランスのパリに生まれ、まだ幼い子供の頃、信心深い母親を失った。その内に父親は後妻を娶ったけれども。ルイズには深い愛情を示し、しっかりした教育を受けさせた。彼女の最も望むところは、我が身を全く天主に献げることであったが、指導司祭の勧告を容れて父の希望に添い、22歳の時王妃メディチのマリアの秘書官、アントニオ・ル・グラ伯の許に嫁ぎ、それから12年の間忠実に妻の務めを果たし、わけても夫が重病にかかり危篤に陥った折りなどは、誠意からその為に尽くした。そしてそのねんごろな介抱も甲斐なく伯が死ぬと、ルイズは即日教会に行って、告解・御聖体両秘跡を受けた後、余生を貧民救護に献げることを誓ったのであった。

 その頃フランス全国の巡回説教に活躍していた聖ヴィンセンシオ・ア・パウロがは、旅行中さまざまの悲惨を目撃したところから、多くの都市にも田園にも、その教区教区の主任司祭の許可を得て、慈善事業の会を設けたが、それらの会を巡察保護するのに、ルイズ・ド・マリアックこそは天主から遣わされた打ってつけの人と彼は認め、これにその任を託した。
 その内乙女でルイズの同志に加わる者も増えたので、自然と一つの修道会が出来上がった。これは「愛の処女」会と名づけられ、パリの大司教の認可を受けた。ルイズは会員たる乙女たちの慈愛深い母であった。それは聖ヴィンセンシオ・ア・パウロが彼女等の霊魂上の指導者であり父であったのと同様である。ヴィンセンシオは毎日彼女達の許へ拾った捨て子を連れてきたり、貧民病者を寄こしたりした。ルイズがこの世を去ったのは、1660年3月15日のことで、享年69歳であった。

 今は愛徳姉妹会と呼ばれているその会は急速にフランス全土に広まり、またフランス大革命の時には多く国外に逃れなければならなかったので、他の国々にも広まった。かようにして今では約三千六百の修道院と約三万五千人の会員とを擁している。
 かかる事業は、天主を蔑する共産主義が「神とあらゆる宗教の打倒」を旗印としている現代において特に、貧民や病者に対する真の愛は、之を扇動使嗾するところあらずして、之を愛し、犠牲を厭わず保護するところにあることを世に示す、重大な使命を持っているのである。

教訓

 我等も聖女ルイズが困窮者のために博大な愛をもって尽くしたその働きに、些かなりとも倣うよう努めよう。何となれば聖ヤコボも言っている通り、真の宗教は「孤児寡婦をその困難に当たりて訪問すること」(ヤコボ1−27)であるからである。